| 1973年頃 |
中学生の姉が聴いていた当時のフォークソングやビートルズなどの洋楽に触れて感動する。小学生の音楽への目覚めってやつでしょうか。 |
| 1974年 |
アコースティックギターを買ってもらう。値段はたしか当時1万円ぐらいだったはず、キソスズキとゆうメーカーのもの。当然最初に弾けたコードはCだった。Fで短期間の挫折を味わう。 |
| 1976年頃 |
名も無いバンドをいくつか結成し、文化祭に出たりする。強烈にヘタクソだったと思う。 |
| 1980年頃 |
高校生になってますますヘタクソバンド活動に磨きがかかり音楽にのめりこむ。名も無きバンドのひとつを「アンバランス」と名付けほんの少し活動する。 |
| 1982年 |
「アンバランス」で地元栃木のNHK FMの素人オーデション番組にトライする。2次審査で見事に落選するが、1次審査のときの楽曲が素晴らしいと絶賛され放送される。タイトルは「あの頃/池田聡作詞作曲」。初めて電波に乗ったのはこのとき。ちょっとだけ自信を持つ。しかし「アンバランス」はその後活動していない。 |
| 1983年頃 |
ますます音楽にのめりこみ、大学に行っても受講しない日々が続く。この頃は黒人音楽、特にnew
soul、funk以外聴けないカラダになっていた。大学の音楽サークルで多いときは一度に7つのバンドを掛け持ちする。そして伝説のバンド「ATOM」に参加する。後のオルケスタ・デ・ラ・ルスのNoraとのツインヴォーカル、いろいろと勉強させてもらいました。 |
| 1985年末 |
留年が決まって、「ATOM」も解散して脱力。生きた屍となる。そんなとき「ATOM」で知り合ったとあるヴォーカリストからオーディションに誘われる。彼女は当時「獅子舞」とゆうグループでデビューしていて、そのグループのコーラスの誘いだった。することも無いので誘いに乗ってオーディション会場に。数名の応募があったらしく、審査される。「ATOM」のデモテープを聴いたプロデューサーが「君はソロでやろう」と言い出し、何だか違う意味で合格する。 |
| 1986年 |
いろんな人に会う。奇妙な忙しい日々。やる気が出てきて卒業研究にも取り組む。奇跡的に見事卒業!その頃CMソングでデビューが決定。プロのレコーディングを経験する。大変苦しむ。もともとヘタクソバンドの出身であることを思い知る。そしてレコードショップに本当に自分のドーナツ盤が並んでいた。一応、感動する。 |